デザインのはなし
佐野研二郎氏の一件,全然鎮火しない.
だんだんみんなの怒りが,デザインという概念だったりデザイナーという存在に向けられてきて,ちょっと恐ろしくなってきた.
「'デザイン'を学んでいない人間が理解できないデザインは間違ってる」
って意見とかもあって,たしかに現状ではその通り.
かと言ってそれに合わせるだけでは'デザイン'は発展していかなくて,つまらないデザインが量産されてしまう.
大事なのはむしろ,'デザイン'を学んでいない人間が'デザイン'を学んでいくというところにあって,そうすれば'デザイン'はもっと面白くなるし,思いもよらぬ視点から物事が解決されたりして,僕らの暮らしも豊かになるはず.
そもそも,なにかわからないことがあったときに
わからない
→'あること'がわかれば面白くなるかもしれない
→よし,とりあえず'あること'を学んでみよう!
とならずに
わからない
→'あること'がわかれば面白くなるかもしれない
→わかるのに手間がかかるなんて!これは間違ってる!
となる感じがよくないのでは,と思う.
別にデザインに限らず,前者の思考はとても大事.
わからないことを何でもかんでも人のせいにするのはよくない.
今,デザイナーはきっとこれ以上無理ってくらい受け手のことを考えてデザインをしてる.
でも,受け手である一般人とかはおそらく,デザイナーのこと考えてデザインを見てないと思う.
だからちょっとでいいので,デザインを学んでいない人もデザイナーのことを考えて,そのデザインのプロセスを推測してみたりしてほしい.
デザイナーが胡座かいて,「おれのデザインを理解しろ!」というのは絶対違うし,
受け手と送り手がお互いに歩み寄るというのは,コミュニケーションで大切なことだけど,デザインにとっても大切.
デザインがコミュニケーションだってことをわかってほしい.